絶対しをしている訳でもない。

海を知らない子供に海水入りのバケツを指差して「これが海です」というようなものだ。
仏教だと不立文字教外別伝(ふりゅうもんじ きょうげべつでん)という言葉になるだろうか?

仏教は聖書のようなものはないが、それでも、例え話などで文字や言葉をたくさん使う宗教である。 ただし、それをキリスト教のように絶対しをしている訳でもない。 むしろ、その文字の向こう側にある人間の何か(悟り?)を重要視する。
そこまで行くことはないけど、現代社会は少しおかしいのかもしれない。 人と一切話すことは無くても、文字を読まない日は無い。
新聞、インターネット、文庫、広告などなど… 人は、それを見て、その情報だけで物事を判断してしまう。 しかし、真意というものは、その先にあると思う。 人と話すと言うことは、言葉以外に抑揚や顔の表情、仕草という情報を得ることが出来る。 文字はあくまでも、伝えたいことの断片にすぎない。 その断片だけを金科玉条にするのはあまりにずさんだ。